藺 相如(りん しょうじょ)趙国の武将
今回も藺 相如(りん しょうじょ)という武将について記事を書いていこうと思います。
漫画キングダムでも趙国の武将。「旧三大天」として回想録等でたまに登場しますね。
最近キングダムでは秦国と趙国の戦争がまっただなかということもあり、
藺 相如(りん しょうじょ)の登場シーンも少し多いですね。
なぜに頻繁に登場するかというと、
やっぱりこの藺 相如(りん しょうじょ)という武将は只者ものではないからです。
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中国の歴史書『史記』にも藺 相如(りん しょうじょ)についての、逸話はいくつか出てきており、
『史記』の作者「司馬遷」もこの藺 相如(りん しょうじょ)という人物を褒めちぎっています。
その逸話をご紹介しましょう。
藺 相如(りん しょうじょ)と完璧の由来
まずはこの逸話ですね。
完璧
趙の宝物【和氏の壁】を巡り、
秦国が【和氏の壁】と自国の十五城との交換を申し出てきた。
【和氏の壁】が天下に知られた名宝とはいえ、十五城といえば小国にも匹敵する程であり、条件としては良いが常に侵略の機を狙っている強国秦。
実際、ただの口実であり宝物を要求しているだけである可能性が高い。
ただ単純に【和氏の壁】を渡せば自ら属国と認めるようなものである。
屈辱的であり、諸国にも恥を晒すことになる。
趙国にはそんな気は毛頭ないが、断れば強国の秦に侵攻の口実を与えかねない。
時の趙国の王『恵文王』は臣下達に相談したが、議論ばかりで全くまとまらず、
さらにこのような交渉に使者として出向くのは虎の穴入るようなもので、
命の保証もなかったので、誰も使者の任へ名乗り出る者がなかった。
趙の国王『恵文王』は困り果てたが、
そのとき『繆賢(びゅうけん)』が『恵文王』に
「自分の客人に『藺相如(りんしょうじょ)』という知勇兼備の者がおります」
と申し出、彼についての逸話を語った。
ある時、繆賢は罪を犯して恵文王の怒りを買い、処罰を恐れて燕国へ亡命しようとした。
すると、食客だった藺相如が
「ご主人様、何故燕国へ逃れるのですか?」
と聞いてきた。繆賢は、
「以前に燕王と会ったことがあるが、そのとき私の手を握って友人になりたいと願ってきた。きっと快く迎えてくれるだろう」
と答えたが、藺相如はこれに対し
「それは間違いです。燕国は弱小国であり、比べれば趙は強国です。
燕国のがあなたと友になりたいと願ったのは、あなたが趙の王様の趙愛を受けていたからこそ。
趙愛を失い不興を買った貴方が燕国に行っても、燕王は匿うどころか捕えて送り返すでしょう。」
と言った
その言のもっともなことに繆賢は狼狽したが、続いて藺相如は
「ここはいっそ自ら処刑台に乗り、進んで趙王様に罰を請えば、幸いにして許されるかもしれません」
と勧めた。
繆賢はこの言葉に従い、果たしてその通りに許され、信頼を取り戻したのです。
この話に納得した恵文王は藺相如を呼び、この国難にあたっていかにすべきかを問うた。
藺相如は
「秦国は強く趙は弱い、受けざるを得ないでしょう。話を受ける形にして、何かあった際の非は秦にあるようにすべきです。」
と答えた。
恵文王が
「壁を奪われ、城を明け渡さなかったらどうする?それに任せかれる使者がいない。」
といったのに対し、
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藺相如は
「使者がいないのなら私が秦国に出向き、城を受け取らなければ、
壁を完うして帰ります」
と申しで、交渉役に抜擢された。
『藺相如(りんしょうじょ)』と秦国の王『昭襄王』との対面
藺相如は秦の都【咸陽(かんよう)】へ入り、秦の昭襄王と対面する。
そして【和氏の壁】を渡すが、受け取ったとたん寵姫や家臣たちに見せびらかし続け、
城の話をする気配が無い昭襄王の態度に、城を渡す気配が全く無いと判断した
藺相如は、
「実は壁には小さい傷があるのです。よろしければお教えいたしましょう」
と近寄って壁を奪い取り、柱の側へ駆け寄った。
そして、冠を突き上げる程に髪を逆立てた凄まじい怒りの形相で、
「趙では疑う意見が多かったが『庶民の間ですら欺くのを恥とするのに、ましてや大国が欺くなど』と私の言を趙王様は聞き入れられ、大国秦に敬意を払い5日間身を清め【和氏の壁】渡された。
この趙王様の信義に対し、秦王様はあまりにも非礼で粗雑な扱い。
もはやこの【和氏の壁】も自分もこの柱で叩き割ってくれるっ!!」
と言い放った。
昭襄王は慌てて地図を持ってこさせ、明け渡す15の城の話をしたが、
それはうわべだけで城を渡す気が無いと見た藺相如は、
昭襄王に宝物を受ける際の儀式として5日間、身を清めるよう要求した。
そしてその間、従者に壁を持たせ密かに趙へ帰らせる一方、自ら残って時間を稼いだ。
そして5日後、身を清め終えた昭襄王が【和氏の壁】はどうしたかと問うと。
藺相如は
「歴代の秦王において、約束を固く守った王を聞きません。秦王様に城を渡すつもりが無いように見えたので、欺かれることを恐れて既に趙国へ持ち帰らせました。15の城を先に渡せば、趙が壁を惜しむことはなどありません。
しかし重ね重ねの無礼の償いとして、私には死罪を賜りたい。」
と述べた。
昭襄王の家臣たちは、この者を処刑すべしと思ったが、
藺相如の剛胆さに感嘆した昭襄王は
「殺したところで何も得られず、趙の恨みを買うだけである」
とこれを許し、
壁も城も渡さないということで収まり、藺相如も厚くもてなされた後に
無事趙国へ帰国した。
趙国では、恵文王が秦国から帰ってくる藺相如の遺体を国葬で迎えようと準備していたが、生きて帰ってきたことを喜び、使者のために仮の家臣としていたのを正式に自らの家臣とした。
藺相如は胆力と知恵だけを武器に、強国秦に一歩も退かずに壁を守り通し、
趙の面子を保ったのである。
≪壁を完うして帰ります≫
↓ ↓ ↓
(壁を全く損ねることなく帰る)
↓ ↓ ↓
(趙国の宝【和氏の壁】を必ず持ち帰るの意)
↓ ↓ ↓
完璧の語源となった。
“wikiより抜粋”
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すごい・・というほかありませんよね。